中村融編「影が行く」

20070108195529[1] 影が行く
 P・K・ディック、D・R・クーンツ他 中村融編
 創元推理文庫






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 リハビリで、この記事を書いています。
 最近は思うところがあり、SFの中に、自分には新しいホラーの源泉を探っています。「ホラーSF傑作選」と銘打たれたこの本は、今の私には打って付けの本で、実際に面白く、読みながら色々と思うところがありました。編訳者の中村融は近年、名アンソロジーを多数編纂しており、当ブログでは以前、「怪物ホラー傑作選」である、「千の脚を持つ男」を取り上げました。
 編者自身による巻末の解説は、自らが考えるホラーSFの定義付け、SF、ホラー双方の変遷の概略などが手際よくまとめられ、この解説一つで、編者が<利き手>であること、この本が優れた選書であることを裏付けているように思われます。

 冒頭を飾るのは、SF、ホラー双方に跨る大御所、リチャード・マシスンの「消えた少女」です。
 お話を要約しますと、声はするのに姿が消えた娘の話で、ここであっさりネタをバラしますが、娘は四次元に転移したのです。舞台は家のリビングのみ。どうしようもなく右往左往する両親と、その友人の顛末が描かれただけの佳品ですが、この作品で起こった出来事は、何かの因果があった訳でも、何かの意志が介在した訳でもなく、それがただの現象であるが故に、何の手の施しようもありません。目の前に断絶を示す壁が聳え、人間を突き離したような恐怖の感触が生まれます。
 この、実にドラスティックな怪異へのアプローチは、SFが介在したホラーの恐怖の質が、従来のホラーのそれとは大きく異なることを如実に示す、冒頭にふさわしい作品だと思います。編者はこの作品を、日常生活の中に、SF的な怪事件が降りかかる、「ミステリー・ゾーン」的な作品と位置付けています。このようなアプローチの作品が、ホラーSFの大きな潮流の一つであることは確かなようです。この短編は後に、実際に、「ミステリー・ゾーン」で映像化されたそうです。

 シオドア・S・トーマスという人は、知る人ぞ知るマイナーなSF作家とのことですが、本書に収録された「群体」という作品では、ホラーではお馴染みの「不定形な怪物」(スライム、ブロブなど)を扱っています。「不定形の怪物」は、ホラーにもSFにも非常によく映える存在で、それを何らかの科学的根拠に結び付けるのも実に容易だからです。
 この作品は、地下の下水道の中で繁殖した「群体」が地表に滑り出て、ものすごい規模で街を覆い尽くす過程を、ひたすら客観的視座に立って描いた極めてドライな作品で、それが不定形の怪物に呑み込まれる人間の描写などを、筆を尽くしておぞましく描こうという、ホラー的なアプローチに則った作品とは異なる感触を持った一作で、冷やかな視座の恐怖といった感じが作品から滲んできます。
 この作品で目を惹くのは、科学的論理に即した怪物の描写です。例えば人間を吸収する際に、人間は体内の60パーセントが水分ですが(実際は70パーセント?この作品には、60とあります)、怪物は40パーセントしか水分がない為、残20パーセントは余分として周囲に溢れ出る、といった描写が出ますが、このようなロジックに即さないとなかなか書けない描写です。描写のありよう自体が変わってくるといったことは、今の私がSFに求めるものに近い気がするように感じました。

 全作の感想は書けませんので、個人的に一際素晴らしいと思った三作を、下記につらつらと挙げます。
 編者曰く、1950年代のアメリカに台頭した、空前のパラノイア社会状況を端に発しながら、一人その遥か先を行ってしまった作家というのが、P・K・ディックだそうですが、これに異論を唱える人は誰もいないと思います。
 隣人が怖い=人間に擬態した生命体、といった従来型パラノイアを援用しただけの作品の遥か上を行く一例が、ディックの名作、「探検隊帰る」です。この作品については、ネタは一切バラせません。短くて非常にタイトな作品ですので、これは是非お読み下さいとしか言えません。描かれなかった作品の背景に思いを巡らせると、変わったのは世界(宇宙)の位相なのだと思い至ります。この短さで、話をそこまで持って行ってしまう凄み。やはり、ディックは「遥か上」の小説家のようです。
 私はSFプロパーではありませんが、おそらくSFの魅力の根幹は、これまで常識的に捉えてきたはずの世界の位相が、読者の中で変化していく、まさにその瞬間にあるように思われますが、そういう意味ではディックは、かなり端的にそれを味わわせてくれる小説家だと思えます。世界の位相の変化、これがSFの側からのホラーにおける恐怖の源泉ではないかと、私は今のところ考えていますので、最終的には何の理系の素養もないのに、ハードSFを見果てぬ終着点のように思い描いています。ディックに科学的素養は殆どないと思いますが、ひょっとすると、SFにおけるホラーの源泉を最も体現した小説家の一人なのではないかと、私は密かに思っておりました。
 ホラーSFの源泉に触れるという点で、決して外せない作家、ということでディックの作品をここに挙げました。

 表題になった、ジョン・W・キャンベル・ジュニアの「影が行く」は、まず間違いなく、この編書のハイライトともいうべき傑作だと思います。ここにはSFの側からホラーにできることの、ほぼ全ての面白さが詰め込まれているように思えました。
 この小説はジョン・カーペンター監督の傑作ホラー映画、「遊星からの物体X」の原作でもあり、原作を読んでから改めて映画を思い返すと、よくこの作品の雰囲気をあそこまで忠実に映像化できたなと、映画への畏敬の念も新たに芽生えさせられた、素晴らしい読書体験をさせて貰えました。
 南極基地という閉鎖環境。氷に閉ざされた過去の宇宙生命体と、その特性。浸食。擬態した人間は誰かという疑心。それを発見する方法のSF的アプローチ。ここまでお膳立てがきっちりと揃ったホラーSFも、稀かと思います。短編中心の選書にあってこの作品は中編ですが、長さに十分見合った中身の伴った作品だと思います。
 人間に擬態し、社会に溶け込む異生物という存在は、ホラーSFにおける常道の一つです。この作品や、ジャック・フィニィの名作、「盗まれた町」の完成度に迫るのは実に困難な気がしますが、浅学な私が知らないだけで、むしろ21世紀の科学素養に基づいた、ものすごい擬態ものの作品があるのかも知れず、そういう小説があったら、是非読みたいと思うところです。人間社会に溶け込む異生物は、ホラーでいえば吸血鬼のように、様々なバリエーションや味付けを施せる、挑戦しがいのあるホラーSFの一定型だと思います。その原石の一つになった作品ということで、ここに挙げさせて貰いました。原石の力強さが漲っております。

「影が行く」に並ぶ今一つのホラーSFの常道が、宇宙人侵略だと思いますが、この今一方の定型を、これまた素晴らしい完成度で描き切ったのが巻末に組まれた、英国SF界の重鎮、ブライアン・W・オールディスの「唾の樹」で、この小説も中編ですが、長さに見合った内容は十分保証できると思います。
 正攻法で重々しい筆致が迫力満点だった「影が行く」に比べますと、「唾の樹」の闊達な筆遣い、緩急の巧みさ、著者のシニカルな眼差しなどとは見事に対を為すもので、SFという以前に、オールディスという人は本当に手練れで、一筋縄では行かない人だと感じました。作品の中に様々な層の厚みがあり、一つの作品の中で、読者が個々に色々と面白い点を抜き出せるような小説にもなっていると思います。
 シニカルさの一端をここに記しますと、舞台が十九世紀末(?)の英国の僻地になっている点です。作中の人物の一人は科学的見地から事態を推察できる人間として描かれていますが、周囲の農民たちはまだ未分化な生活様式や価値観の中を生きており、SFにつきものの論理性を、作品全体で玩具のように扱う皮肉さが漂っています。一方、科学的とされる人間も、当時の「自由主義的」な身勝手な傾向があり、著者はどの立場にも均等に「シニカル」で、私はこういう性格の悪い作品が好きです。自分は直情的な作風なので、こういう洒脱さを素直に羨ましく思います。
 また、この小説はメタ小説でもありますが、それは読んだ方のお愉しみということで、ここでは割愛致します。
 巻末にツイストの利いた、ホラーSFの王道中の王道的を描いた作品を配して、アンソロジーを華麗に締め括る、編者の手並みの鮮やかさにも感心させられました。

 これまでSFの側からホラーに接近した作品を取り上げましたが、最後にホラーの側からSFに迫った作品を挙げて終わります。
「ウィアード・テイルズ」派の巨匠、クラーク・アシュトン・スミスの、「ヨー・ヴォムビスの地下墓地」という作品がそれです。
 内容は火星の古跡探検隊の遭遇する恐怖を描いたもので、要は秘境の舞台が火星になっただけという作品で、編者はこういった作風を、SFとしては噴飯物でも、ホラーSFの今一つの金脈、と位置付けております。
 彫刻、詩も嗜む、生粋の芸術家肌であるスミスの流麗な文体が生み出す、華麗な火星のイメージが文を読む目にも美しい一品ですが、私がこの作品を読みながら思ったのは、これまでSFという(自分には)異分野から垣間見るホラーの面白さと全く相反する、読んでいてあまりにも肌に馴染みのあり過ぎる感触、といったものでした。科学的根拠など皆無に等しく、これまで散々秘境の恐怖を扱ってきた、それこそ「ウィアード・テイルズ」辺りで散々描き尽くされた作風と全く同じものがそこにあった、というだけなのですが、純正なホラーから離れたくてこの本を読んだのに、結局は元の鞘に収まっただけかと憮然としましたが、それでも面白いものは面白いとしか言いようがなく、結局自分はこっちの側の人間なんだと再認識させられた気がしました。
 逆にこの選書の中では、この一作は図抜けて異色な肌合いを持ち、「千の脚を持つ男」における、フランク・ベルナップ・ロングの表題作を読んだ時も同じ印象を持ちましたが、「ウィアード・テイルズ」を主戦場にしてきた小説家には、曰く言い難い独特の作風がある気がしてなりません。純正なSF作家で、異郷作家とも称されるジャック・ヴァンスの、「五つの月が昇るとき」という、スミスの作品とよく似た作品もこの選書にはありますが、ヴァンスのそれとも、やはりスミスのそれは質感が大きく違っていて、小説家の出自の違いを愉しむという、なかなか面白い体験ができたことも、最後に言い添えておきたいと思います。
 良いアンソロジーでした。
 



 

 
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