鈴木晶 森田義信編「ニュー・ゴシック ポーの末裔たち」

鈴木晶 森田義信編
新潮社
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アンソロジーの魅力の一つに、作品選定の基準になるコンセプトが挙げられると思いますが、
この本のコンセプトは題名通りずばり、ニュー・ゴシックです。
じゃあ、そのニュー・ゴシックって一体何なのよ?という話になるのですが、
この本の提唱するニュー・ゴシックとは、本質的にはモダンホラーとほぼ同じで、
日常生活を送る上でふと覗く、裂け目のような闇を描いた小説を指すそうです。
モダンホラーは、不定形な闇に吸血鬼だの何だのと定型を与えることて、かえって読者を安堵させ、
ニュー・ゴシックは、逆に闇に形を与えず、闇をそのまま直視しようとする。とのことです。
ニュー・ゴシック自体の捕え方については、読んでいて「ああ、なるほどなぁ」と思いました。
ですが!この本の趣旨と選ばれた作品の間には、けっこうな乖離があるように私には思えました。
ジョイス・キャロル・オーツ、パトリック・マグラー、アイザック・B・シンガーなどは、この趣旨通りだと思いますが、
T・コラゲッサン・ボイル、ロバート・クーヴァー辺りのポストモダン作家の作品は、果たしてどうだったのかなと…。
また、別の見方では、ニュー・ゴシックというカテゴリを境界線ギリギリまで拡張することを試みた、
果敢な取り組みのアンソロジーである、とも言えると思います。
ホラー畑よりも、文学畑の人選が目立つアンソロジーになっています。
ルイス・オーキンクロウス、ウィリアム・ゴイエンといった作家のことを、私はこの本で初めて知りました。
パトリック・マグラーの「監禁」は、伝統的なゴシックを現代的に再構築して、人間の薄気味悪い暗部に迫った小説ですが、
この作品は一人称で書かれたことが、とても効果的だと思いました。
明らかに常軌を逸した人間の考えも、その当人の側から書くと、ごく当然の考えになってしまうわけでして。
そういう疑いを持たない人は実はどこにでもいて、読者の身近にもいるかも知れない…。そういう恐怖ですね。
ジョン・エドガー・ワイドマンという、これまた始めて知った作家の「熱病」という作品ですが、
時制も人称も横断した、随分ややこしいポストモダン小説で、私は読みながら何度か挫けそうになりましたが、
無闇にテンションの高い饒舌な文体は、読んでいるこちらが熱病に浮かされそうな迫力で、
頑張って読み終えた甲斐があったと、自分を(いや、作品を!)褒めたくなったのでした。
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