三津田信三「赫眼」
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三津田信三
光文社文庫
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推理小説と怪奇小説の双方に跨って、旺盛な執筆活動を続ける、三津田信三の初のホラー短編小説集です。
私は推理小説は全くの門外漢ですので、何も言えませんが、この短編集は相当にレベルが高いと私は思います。
完全に私見ですが、今の日本のホラー小説は、三津田信三と小野不由美の二強体制は揺るがない、
というのが、今の私の認識です(他の小説家はどうなんだ!など色々あると思いますが、そこは私見ということで…)。
中でも三津田信三の怪奇小説は、いわゆる心霊実話テイストに完全に特化していて、彼の小説を読むと、
ホラーの中で、日本において未だにリアルでヒップなのは、やっぱり心霊実話なのかな、とも思ったりします。
三津田信三はその怪談の中でも、相当に技巧的で、かつ独自の理論体系を持った小説家です。
逆にある意味、ここまで自己理論化を徹底して、小説を書く小説家も稀だと思いますし、
①理論が効果的=怖い、②理論化されているから量産が利く、③理論化されているから作品にバラツキがない、
という、ホラー小説安打製造機の如き、すさまじい小説家です。
私の中では、もはや「安心と信頼の三津田信三ブランド」になっています。
じゃあ、その理論って何なのさ?
という方の為に、巻末で評論家の日下三蔵が、分かりやすく特徴をまとめてくれています。
下記、孫引きしますと、
①メタフィクション(自分の身近な近況から始まる)
②アナグラムの多用(落ちが判明する時に、よく使われますね)
③推理小説と怪奇小説の要素のブレンド
④作品間のリンク(幾つかのシリーズを持っていて、共通の人物が出るなど)
⑤擬音の多用(これは怖いです)
確かにその通りで、基本的にはこの方法論に従って、三津田信三のホラー小説は成り立っているようです。
これらの理論が、何故効果的なのかと考えますと、つまるところは作品世界に、いかにリアルな感覚を与えられるか、
という部分に大きく貢献しているからだと、私には思われます。
先の特徴をより補強する為に、特に優れていると思うのが、圧倒的な場所(空間)の造形能力だと私は思います。
現に所収の、「灰蛾男の恐怖」という短編の中で、
「怪奇幻想系の作品は、化物や魔物が出没してもおかしくない気配が漂っていれば、もう九割は成功したと言えます」
と、著者本人が述懐すらしています。
この言葉通り、「灰蛾男の恐怖」の冒頭の、場所の造形は本当にすごいです。こりゃ確かに何かでるわ、という感じです。
また、その空間を、場所の由来や歴史といった、舞台衣裳にまでレンジを拡げてみますと、
「よなかのでんわ」が顕著ですが、この小説には作中に、「赫村」だの、「墓村」だの、「人牛村」だの、
相当に気持ち悪い村が、次々と登場してきます。よくこんな次々と思い付くもんだなあ…。
場所にまつわる来歴などをいちいち想像することは、相当に骨だと思うのですが、
そこは三津田信三が、推理小説の書き手でもあることが、大きく影響しているように、私には思われます。
このような構築力の長け方は、推理小説を思考する側から来ているのではないか、と私は思います。
これこそ完全な私の想像ですが、おそらく三津田信三は、そのような構築に困るタイプではないと思いますし、
小説を書くに当たっての、先の展開の見通しも、非常によく見えている人なのかな、と想像したりします。
これらの理論体系は何も心霊譚に限らず、それ以外の怪物を扱っても成立することも、ある作品で示されています。
ネタバレになると悪いので、どの作品とは、ここでは控えますが、私などは、「なるほど!」と膝を打った次第です。
面白くて怖い以外にも、(特に私如き、自分も書く人間には)勉強になるとは、何て素晴らしい小説家なのでしょう。
三津田信三は他にも、「ついてくるもの」、「誰かの家」、「怪談のテープ起こし」などのホラー短編集を出版していますが、
どれも傑作です。何と外れがありません!…一体、何という小説家なのでしょう。
私は大好きな小説家ですので、気になった方がいましたら、是非お手に取って戴ければ、と思う次第です。
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