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ブラム・ストーカー「吸血鬼ドラキュラ」

20070108195529[1] 吸血鬼ドラキュラ 
 ブラム・ストーカー
 創元推理文庫






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ホラーといえば吸血鬼!
…かどうかは分かりませんが、改めて読み直しました。お話はあまりに有名ですので割愛します。

吸血鬼といえばこの作品以前にも、レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」や、ジョン・ポリドリの「吸血鬼」など、
前例は既にあったわけですが、この小説がそれらの前例を越えて、何故吸血鬼小説の決定打になったかついては、
様々な要因があると思いますが、何よりの要因は、作者の本気度の高さにあったのではないか、と私は思いました。

吸血鬼は血を吸い、感染するなどの特性から、性的なものも含め、様々なメタファーを付与できますが、
根本にあるのはあくまで、それが死を侵犯し、周囲に死をもたらす禁忌に塗れた存在、という点にあったはずです。
吸血鬼は本気で怖いのだと確信し、この禁忌に抵触する恐怖、即ち、自分が生きながらにして死に穢される恐怖を、
ここまで骨太に、かつ仔細に描いた作品が他になかったから、この小説が、吸血鬼小説の決定打になったと思うのです。

実際、改めて読みながら、この小説での吸血鬼の存在は徹底して忌わしく、21世紀の今にも通じる、というレベルを越えて、
本気(殺気といってもいいと思いますが)で描かれたホラーは怖い、という真理を読者に伝えてくれます。

私が考えるホラー小説の妙味とは、馬鹿馬鹿しいと思いながらも読み進めるうちに、作者の迫真の筆遣いに引き込まれ、
「くだんねえ。しかし、ひょっとすると、もしや…」と、読者がそこに描かれた世界を、一瞬でもリアルに感じる、
その瞬間にあると思いますが、この点も、この小説は周到かつ念入りです。

読者がその作品をリアルに感じるには、まず、作中の人物が、それを信じる必要があります。
そこで、かのヴァン・ヘルシング教授が登場し、何人かの協力者に、吸血鬼を信じさせるよう延々と説得します。
読者に、19世紀時点で、既に十分に科学的で懐疑的な人物たちが、吸血鬼を信じざるを得なくなる過程を見せて、
その世界に対してのリアルさを、徐々に獲得させていく、という周到な戦略が、随所に用いられています。
恋人を救う為に、死体に杭を打たなければならないアーサーの苦しみと、それを伝えるヘルシングの苦悩は、
人間ドラマとしても、ある極点に達しており、この辺りの展開は素晴らしいとしか、言いようがありません。

また、この小説は、速記や、当時の先端技術(?)だった蠟管録音による口述日記なども用いた、
複数の人間の手記の寄せ集めから構成されています。これが作中にリアルさを与える為の選択だったことは、
まず間違いないと思うのですが、読みながら一つ気になることがありまして、特に後半に顕著なのですが、
どの人間も手記を執筆しながら、可能な限り正確に事態を記述することに、取り憑かれたように拘り出す点です。
文字通り、彼らは寝食すら忘れて、正確な記述に没頭し始めます。しかも執筆する全員が。
確かに、後半は吸血鬼との追跡劇の様相を呈してきますので、吸血鬼の行動を予測する為にも、
作劇としても、正確な記述は一応必須となっているのですが、それにしても鬼気迫る正確さへの拘りぶりで、
まるで吸血鬼よりも、記述において正確さを欠く方が恐ろしい、とでも言わんばかりです。

このオブセッションは、一体何なのでしょう?どの人物も等しく、その考えに支配されていることを考えると、
これはもはや作中の人物の考えではなく、作者本人の考えと見るべきでしょう。
勿論、私如きに真相など分かるわけもありませんが、このことについて、私はこう想像してみました。

作者は何年もアイデアを温め、ルーマニアの串刺し公をモチーフにするなど、入念に作品を練ってきたわけですが、
それでも、本当に吸血鬼の存在を、読者がリアルに感じてくれるか、そこに大きな不安が付きまとっていたと思うのです。
聡明な作者は、読者が吸血鬼の存在をリアルに感じるか、この小説が成功するか否かは、
そこにかかっていることを、知っていたと思うのです。
読者にリアルを感じさせる為に、作者が選んだ手法が、「正確な記述」にあったのではないか?
正確な記述へのオブセッションは、実は作者自身のオブセッションだったのではないか?これが私の想像です。

血液型を無視した輸血などは、今となっては陳腐化した科学的アプローチですが、作者は吸血鬼に信憑性を与える為に、
手記を用いたドキュメンタリータッチ、科学的見地、民俗学的見地など、およそ考え付く限りのあらゆる方法で、
吸血鬼のリアルさを、作品の中に実際に希求しています。

吸血鬼は絶対に怖いという本気さと、それを保障する為の、数々の周到な仕掛け。
これらが渾然一体となって、作品を読み進める読者に襲いかかってくるからこそ、
この小説は、吸血鬼小説の決定版になり得たのではないか、というのが、私が今回読み直して思ったことでした。
ところが…。この小説から100年近くを経て、今度はアメリカから今一つの、吸血鬼小説の決定打が登場します。
その作品については、また折を見て後述したいと思います。
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「DAMMED THING」告知用ブログです。
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