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2018年の活動状況

 今年の夏に参加した某同人誌イベントを最後に、同人誌からは完全に身を引くつもりでしたが、これまで小説、表紙イラストの寄稿をしてくれた友人が一冊限定で同人誌の主宰を引き継いでくれることになったのを機に、今年は一冊しか刊行できなかったのでさして書くこともありませんが、同題の振り返りをしたいと思います。
 今後も同人誌を刊行したとしたら、実生活上の都合により年に一冊程度しか刊行できなくなると思いますが、折角始めたので活動は細々と続けようかなと、現時点では考えております。



 (おことわり)
 書いた小説の裏話をつらつら書いていきます。
 ネタバレにはならないと思いますし、そもそも頒布数が少ないので問題ないかとは思いますが、少しでも情報は入れたくないという、当誌をご購入された方がおられましたら、本誌を読んだ後に読むことをお薦め致します。



 昨年は見よう見真似で同人誌を二冊頒布し、途中までは今年も年二冊の刊行を想定していました。
 昨年末にTwitterを始め、同人誌界隈での様々な催しの存在を知ったのを機に宣伝の一環として、「Twitter300字ss公募用掌編」というものを幾つか、当ブログにアップしていました。当ブログの「創作」カテゴリに掲載されています。お暇な方がいましたらどうぞ。

 当誌がアメリカの怪奇幻想専門パルプ誌、「ウィアード・テイルズ」をモチーフにしていることは以前から述べている通りで、刊行すればするほど当然同じものに仕上がる訳もなく、むしろ「ウィアード・テイルズ」色は巻を追う毎に希薄になっていきましたが、あの雑誌には当時の社会情勢、文化圏、執筆者など、様々なものが不可避的に複雑に絡まった結果、あのテイストが産まれてきたのであり、幾ら表層だけを真似てもあの核心に近付くことは実質不可能ということを、通算三冊の刊行で身を以て知りました。
 今は以前ほど「ウィアード・テイルズ」への拘りもなく、この時代の日本に生きる私たちが書いたものが、必然的にそれとは異なる別の何かになる事実を自然に受け止めています。このことは執筆にも共通すると思っていて、例えば十九世紀辺りの古色蒼然とした(それ故に魅力的な)、怪奇小説のテイストを今の時代に再現するのは実質不可能に近い、といった事情と全く同一のことと考えています。 
 先に述べたことの影響か否かはさておき、今回も原稿を依頼した際に一切の制限を設けなかった為、総体的にはむしろ日本固有の死生観や宗教観といったものを基調にした小説が集まり、私自身に至ってはもはやホラーかどうかも怪しい小説を書いていましたが、手前味噌ながら面白い小説が集まってくれたと思っています。
 今年五月に開催された「第二十六回文学フリマ東京」、七月に開催された「第7回 Text-Revolutions」に出展したのが、以下の本になります。


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2016 11 23 4 DAMMED TIHNG VOL.3
 江川太洋「祈り」
 はもへじ「柔術怪談」
 河野真也「呪いの照明」







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 人の小説をとやかく言う資格はないので、ここでは主に自分の作品のみ触れますが、簡単な他の方の作品紹介を。
 二度目の寄稿となる、はもへじさんの「柔術怪談」は題名通りの、ある柔術道場に纏わる心霊譚で、当誌あとがきにもあるように、柔術ネタでホラーを書くようそそのかしたのは私です(すみませんでした…)。柔術の稽古の描写が頻出する割には、予想外(?)にも正調の心霊譚として手堅く読める一作になったかと思います。
 当誌の巻末を飾るのは、毎回八面六臂の活躍を見せてくれる友人(ペンネームを構想中だそうです)が、最後はほぼ三轍で書き上げた渾身の一作、「呪いの照明」です。九州の山村を舞台に、駐在所勤務の警官が当地に纏わる呪いに巻き込まれる、土着ホラーの傑作です。当誌のクライマックスに相応しく読み応え十分ですので、ご興味のある方は来年のイベントで是非当誌をお買い求め下さい。友人が冗談で、作中に登場する神主のシリーズでも書くかなと言っておりましたが、是非ゴーストハントものとして書いて戴きたく思っております。

 私が書いたのは、「祈り」という小説です。
 書いた時期はうろ覚えですが、三月から四月にかけての約一ヶ月間ほどだった気がします。相変わらず度々書き直し、「時間がない、時間がない」と焦っていたのを覚えています。
 この当時の専らの関心は短編を短い枚数できっちりと書くことで、これは昨年も挑んで上手くいかなかったので、今年こそはと意気込んだ結果、これまでで最長の長さになり、途中から短く書くこと自体を放棄してしまいました。登場人物の少なさに短い枚数の所産を求めたのが昨年の実作の失敗で、「DAMMED TIHNG VOL.2」所収の、はもへじさん「コンビニ夜話」を読んだ時に、時間軸自体の短さに所産を求めれば短い枚数で物語れることを知りました。自分では勝手にワンシチュエーションホラーと命名している、この形式に則ればそれが果たせることは理解しましたが、毎回続けても飽きられると頭を悩ませた結果、長い時間軸の話の中で短く語ることは可能かという問いを自らに課して書いたのが、「祈り」でした。
 結果は先に述べた通りですが、例えば津原泰水の「土の枕」は、若き主人公の従軍体験から、土(土地、農作業)と共に生きることを選び老いた主人公の死までの長い生涯を、僅かな枚数であるにも関わらず悠久の時間の流れを体感させる、稀有な短編の一つでしたが、書き方によっては長い時間軸の中でもそのように書ける実例があるのです。私の場合、一体何が至らなかったのか、実は未だによく分かっておりませんが、構造、描写などを包括して全体に及ぶ、小説の総体的な思考量が足らなかったと今では考えています。
 小説の総体的な思考量とは、我ながら何とも抽象的なもの言いだと思いますが、例えばプロットの構築や、エピソードの取捨選択(編集)といった、小説の成立の一部である個々の要素ではなく、それが全体であるが故に漠然として一見捕え難いもののような気がしています。強いて言えば、固有の小説を成立させる、その小説固有の文体を最後まで摑み切れなかったと、自分では思っています。短い枚数の中で長い時間軸を横断させ、その長いという感覚を読者に捕えて貰うには、結果的にはエピソードの段積みになってしまった叙述の形ではなく、もっと様々な時間が溶け合うような叙述の形があったのではないかと、この小説を離れた部分で、今でもそれについて考えることがあります。
 一方、このような作品固有の叙述に思いを巡らせると、即興で書くということとある箇所では相反する、ある種の小説を俯瞰図として捕える必要もあるのかも知れませんが、即興による叙述を崩さないまま、固有の叙述を見出していくことは本当に不可能なのだろうかといったことが、個々の小説の題材や描きたいことから離れて、小説自体について直近で考えていることの一つです。

 もう一つ書くに当たって念頭に置いていたのが即興で書くことでしたが、このことは寂しい女性の半生を描きたいと思ったことと、無意識下のうちに何処かで結び付いていた気がします。
 乱暴に即興で描きたい人とプロットを構築したい人で分けたとして、登場する人物や作品の舞台背景も含めた小説の中の世界の把握(制御)について、双方それぞれにアプローチや願望が異なるのではないかと、ここ数年そのように考えていました。綿密にプロットを構築したい人は、意図、人物の性格や行動心理、作中の世界像を自らが制御したい願望があり、即興で描きたい人は、何処かでその制御を逸脱したい願望があるのではないかと思っておりました。
 私に限って言えば後者の気持ちが強く、私が制御した世界像を読者に提示したところで、それは箱庭並みの拡がりしかないのではないかという思いがあります。元々プロットに関心が薄いこともあり、途中で登場する男性を描くまではお話の方向がよく見えませんでしたし、題名にある「祈り」が何なのかについては、これがいい加減なところと言われればそれまでですが、結局書き終わった今でもよく分かっていませんが、自分ではそれでいいという確信があり、それに従って最後まで無事に書くことができました。それが読者の方からして面白いと思うのかどうかは、大きな問題だと思いますが。
 即興で書く中で常に意識していたのは、寂しい女性の漠然とした佇まいでした。先の小説固有の叙述を捉え損ねたと典型的に思うのが、長い間孤独だった状態をエピソードの数珠繋ぎでしか描けず、時間として描けなかった点だと思いますが、そういったことを描くのが主な関心事だったことが、あまり主題や展開の把握といった方向性に関心が向かわなかった一因だと思います。
 いずれにしても人間を描くのは難しいと改めて思いましたが、一応私はホラー小説家志望ですし、と曖昧に済ませることにします。

「祈り」については概ねそのような感じでしたが、本誌の宣伝用に配布したのが下記のフリーペーパーです。
 


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2016 11 19 FREE PAPER VOL.3
 河野真也「きびなご」
 江川太洋「鴨居」







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(書影の画像がなく、他の画像を使っていますが、右下の数字が「3」になる以外は全く同じです)
 これまでフリーペーパーには自作を一編だけ収録してましたが、フリーペーパーも複数の小説があれば面白かろうと思い、友人が何年も前に書いた小説の掲載をお願いしたところ快諾戴けたので、併録させて貰いました。
 初めて読んだ時から私はこの小説が好きで、今回掲載できたことを個人的には嬉しく思っています。友人も自分で述べてましたが、元々映画志向である影響が顕著に出た、ある種シナリオのような断片の積み重ねで成立している一作だと思います。この小説から実に厭な画が見えました。

 私が書いた「鴨居」ですが、「祈り」で締め切り間際になり、いよいよ短い話を短く書く必要に迫られて最初に別の小説を書き始めたのですが、書いて少ししてその話が短くならないことを知り、切羽詰まった挙句、「もう鴨居でいい!」と強引にでっち上げた、典型的なワンシチュエーションホラーです。私にとってはこれは最後の頼みのような手法で、できればあまり用いたくありませんでした。
 鴨居でいいと居直った直後に作品の全容が見え、書くのに二日もかかっていないはずです。完成直後にそのまま校閲に突入し、この間は時間に追われていた厭な記憶しかなく、そのせいか後日読んで貰った友人から、「書き急いでたでしょ?」とズバリの指摘を頂戴する羽目になりました。面白いかどうかは不問として(という前提がすごいのですが)、短く書こうと思えばワンシチュエーションに限ることを実体験として得た小説であり、小説の短さという一点に拘泥すれば、あまり似た部分はなくとも自分の中では「祈り」と対を為しています。

 実作を書く期間を通じて、短く書くことにとにかく執着していましたが、それが一体何故なのかと考えると、自分でも未だに理由がさっぱり分からないのです。私は小説のプロットに拘らない代わりに、このような条件付けに非常に囚われ易い類の人間で、たいてい小説のネタを考える際には、直接の展開ではなくこのような条件付けから考えることが大半です。



 その他、「第7回 Text-Revolutions」に出展した際に、「テキレボアンソロ」というイベント内企画に参加した掌編が一つあります。
「テキレボアンソロ」とは、同イベントに参加した同人有志が、同一テーマの元に四千文字以内でweb上に小説を発表する企画です。第七回のお題は「海」で、私が書いたのは、「機械眼」という掌編になります。こちらもお暇な方がいましたらどうぞ。
 作品コチラ→ https://text-revolutions.com/event/archives/7652

 たった一冊の頒布で振り返りというのもおこがましいですが、来年は同人誌にはあまり拘らず、執筆に専念できる環境を整えて、執筆に励む一年にしたいと考えています。新年早々は環境を整えるのに腐心して時間が取れないと思いますが、落ち着いたらじっくり執筆に取り組もうと思っています。
 差し当たって書くのは先の述べた通り、友人が主宰を買って出てくれた、「DAMMED TIHNG VOL.4」掲載用の小説になると思います。既に描きたいことはあり、たまにふと暇な時間ができたりした時にその小説のことを漠然と考えています。来年五月の刊行になるそうですので、ご興味のある方がいましたら、同人頒布イベントでお会いしましょう。

 最後になりますが、当誌をお買い上げ戴きました読者の皆様に深い感謝の意を捧げつつ、炬燵でみかんでも食べながら新年を迎えたいと思います。ありがとうありがとう。以上です。
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WORLD BEANS

Author:WORLD BEANS
ホラー小説専門同人誌、
「DAMMED THING」告知用ブログです。
活動状況はほぼ更新せず、大半は読んだホラー小説のことを、ぶつくさ書いてます。
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