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相沢沙呼「スキュラ&カリュブディス」

20070108195529[1] スキュラ&カリュブディス
 相沢沙呼 
 新潮文庫nex






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うかうかしている間に、気が付くとついに新潮文庫もラノベに参入です。
この分野には興味はあったのですが、一体どこから入って良いのかさっぱり分からず、
「おお、ホラーだ、なんか耽美らしい…」ということで、実は著者のことも分からず(すみません)、読ませて戴きました。

女子高生たちの間で蔓延する謎のドラッグ、喰い千切られた女子たちの死体、都市伝説的な人狼の噂…。
こうして見ると確かにホラー小説ではありますが、そこはやはりラノベというべきなのでしょうか、
通常のホラー小説とは、かなりお話の力点が違っており、私如き新参者には、そこが目新しかったです。

よくあるホラー小説だと、終盤まで真相究明が続き、主役級の誰かが犠牲になるのを、みんなで食い止めろー!
と奔走する、みたいな雄々しい展開になると思うのですが、この小説の場合は、著者の資質もあると思いますが、
真相究明よりも(勿論、真相究明もありますが)、作中の少女たちの脆くて危うい精神性や、
儚い結び付きの方に、より大きな比重が置かれています。
それがまた、少女たちの幼さ故か、一途に耽美(性と死)に没頭する傾向があり、雄々しさの対極にあるような、
ある意味では、非常に純化された夢を扱った小説なのだと、私は思いました。

純化という言葉は、理念化と言い換えてもいいかも知れません。
多分に自己憐憫的で、願望充足的で、紆余曲折はありながらも、最後にはそれが叶い、満たされる、
という意味での、理念化です。そこには、現実につきまとう、余計な夾雑物の成分が殆どありません。
作中の少女たちは、そのような時間と空間の中を、全身で生きている、そういうことなのだと思います。

唐突に話は変わりますが、昔、映画館で、島崎藤村原作の「破戒」(市川雷蔵版のやつ)を見ました。
映画の中で、自らの出自を、ひた隠しに生きてきた主役の教師が、
生徒に向かって、泣いて赦しを乞いながら、自分の出自を語る、というシーンがありました。
その映画では、教師はまさに「泣き濡れる」といった感じで、むしろ「濡れる」の方に、比重がかかってるんじゃないか…?
この小説の、少女たちの儚い交換も、ほんとにこういう感じなのです。

人体損壊の猟奇的場面と、少女たちの耽美的な行為と、真相究明を随所に挟みながら、作中の少女たちは、
他人との違いに怯え、人を求めながら拒み、縋っては突き離し、といったことを、延々と繰り返します。
詰まるところ、この小説が理念としているのは、他者と異なったまま同化したいという、矛盾を抱えた承認欲求です。
この心的なプロセスに共鳴できない(肌に合わない)読者は、この小説を読んでも、
「意外とグロかった」「意外とエロかった」ということ以外に、何も得るところがないように、私には思われます。

ホラーの本旨は、勿論、読者に恐怖を与えることですが、その中にある様々な方向性を、私は許容したい考えです。
よく言われるようにホラーには、思春期の性の通過儀礼のシミュレーション、といった側面もあると思いますし、
今やいい歳こいてしまった私如きには、こういう時間が止まったような感じ、といいますか、
むしろ、このまま時間が止まっていてほしい、という儚い夢の時間の手触りが、何だか懐かしくもありました。
私は、このような自己否定に端を発した、自己憐憫という感情は、とても日本的な感情だと思います。
海外にも、ヤングアダルト向けのホラー小説は、かなりの数があると思われますが、
この小説のような、こうまで承認欲求の成就に特化した、ウェットな手触りの小説は、なかなかないように思われますし、
これも、今の日本の文化土壌が、独自に生み出した何かのように、私には思えました。
また、作中の少女がアニメばりに、みんな特徴的な美女ばかりで、そういう部分にも、独自の歪つさがあると思います。


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澤村伊智「ずうのめ人形」

20070108195529[1] ずうのめ人形
 澤村伊智 
 角川書房






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デビュー作の「ぼぎわんが、来る」が大好評だった、日本ホラー小説界期待の新人、澤村伊智の第二長編です。
私は初めて読みました。これはまたすごい人が出たてきたなあ、というのが素直な感想で、
評判通り剛腕といいますか、非常に地力の強い小説家だと思いました。

この小説の地力の強さは、様々なものを含んでいるように思われました。
まず、作中に出てくる存在の問答無用さです。
遭遇したら必ず死ぬ、逃げようがない、というのはまだ既知の範囲かと思うのですが、すごいのはその規模です。
数量で換算される、事態の尋常でなさというのは確かにあるなあ、と読みながら、気付かされた感じがありました。
特に出だしが、ごく身近な心霊実話テイストから始まりますので、なおさら効果的だと思います。
次に、展開の自在さです。むしろ、地力の強さを感じさせるのは、こちらの方かも知れません。
この小説はホラー以前に、物語としての牽引力が相当に強いと感じました。
視点の頻繁なスイッチ、仕掛けられた幾つもの複線、一端読者をミスリードに導いておいて、すぱっと解決する鮮やかさ、
作中で事柄が示されるディテールがいちいち秀逸などなど、物語を転がす手腕が実に闊達です。
私は個人的には、どちからといえば、構築的ではない小説の方が好みですが、
この小説を読みながら、次々と作者の手玉に転がされるのが、実に心地良かったです。
そういう意味では、この小説家は、本来的な意味での、娯楽小説の王道を行くスタイルだと思います。
これだけ書ければ、今後この著者は何を書いても大丈夫かな、という気がしました。

この小説全体で言及されるのは、ある都市伝説についてです。
ある都市伝説の原因究明が物語の骨子で、そこで剛腕のリーダビリティが発揮されるのですが、
私が読んで面白かったのは、都市伝説自体の成立と解釈が、延々と登場人物の対話を通じて考察される点でした。
ここで著者は、非常に面白い考えを述べています。
それは、都市伝説とは、怖い話が持つ、柱の二つのうち、片方だけに特化したものである、という考えです。
柱の一つは、その話自体が持つ「怖さ」だそうです。
そして、都市伝説が特化したもう一つの柱が、その話自体が広がること、それ自体が「怖い」、という解釈です。
ここで著者はご丁寧に、登場人物の抱くイメージとして、真っ白な日本地図に、話が広がった場所を赤くして、
それが日本全土を覆う、という噂が伝達する形を、わざわざ可視化までしてくれます。

例えば、従来の心霊実話や昔の怪談話では、基本的に幽霊は恨みを残すから幽霊になるのであって、
逆に考えれば、恨みのない人間には、何の害もない、という考えになるのですが、
このような都市伝説的な広がりをする怪異には、恨みのある無しは、もう何の関係もありません。
どんな理由でも、一端聞いたらもうアウト!こういう無差別的に降ってくる恐怖です。
この小説の怪異の問答無用さは、この災いが及ぶ伝播の方法に、大きく拠るところがあるのですが、
実は、その問答無用の伝播の恐怖については、私たちはもっと以前に、別のまた大ヒットした小説や、
かつて世界を席巻した、一連の優れたJホラーなどで、既に手触りを知っているはずです。
この小説でも、かつて日本中を席巻した、ある小説が大きなキーワードになっていますが、それは読んでのお愉しみで…。

思えば、このような、恐怖に関する様々なマテリアルな工夫や、恐怖の仕組みの徹底的な見直しは、
二十世紀末に、むしろ小説よりも映画の方で、活発に行われていた時期がありました。
この小説は、そういった一連のムーブだったJホラー以降の、二十一世紀の紛れもない、
国産ホラーの新たな産声だと、私は読みながら感じました。
私も世紀末にJホラーを掘っていたこともあって、一端は断絶してしまったかに見えたその潮流が、
実は内部では、地底の溶岩のようにまだ滞留していて、時代は確かにここに再び繋がった、という感動がありました。
少なくとも、これは日本が独自に発展させ、日本でしか生み出せなかった、恐怖の系譜上にある小説だと思います。

一方、些事であるかも知れませんが、難癖を付けられかねない部分が、この小説にはあって、
それが、先に述べた、キーワードにもなったある小説が、あまりにも言及され過ぎている点だと思います。
言及どころか、作中の人物もそれを読み、それが物語にも反映されるほど、扱いが大きくなっています。
作中の中で、他者の作品について扱うのは、実に按配が難しいと私は思います。
些事と言えば全くその通りですが、作中の世界観を保障する大事な部分でもあると、私は考えますので、
私は読みながら、正直唯一引っ掛かった部分でもありました。
また、参考文献に、他者の小説がズラズラ並んでいるのは、初めて見ましたし、それが私には軽い驚きでもありました。

まあ、それはともかく…。
確かな物語作法を持ち、日本のホラー小説の延長線上の最先端に位置する自覚も、十分にあると思われます、
この小説家は、全く評判通りの小説家でした。私は早晩、この著者の他の小説を読みたいと思います。


三津田信三「赫眼」

20070108195529[1] 赫眼
 三津田信三 
 光文社文庫






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推理小説と怪奇小説の双方に跨って、旺盛な執筆活動を続ける、三津田信三の初のホラー短編小説集です。
私は推理小説は全くの門外漢ですので、何も言えませんが、この短編集は相当にレベルが高いと私は思います。
完全に私見ですが、今の日本のホラー小説は、三津田信三と小野不由美の二強体制は揺るがない、
というのが、今の私の認識です(他の小説家はどうなんだ!など色々あると思いますが、そこは私見ということで…)。

中でも三津田信三の怪奇小説は、いわゆる心霊実話テイストに完全に特化していて、彼の小説を読むと、
ホラーの中で、日本において未だにリアルでヒップなのは、やっぱり心霊実話なのかな、とも思ったりします。
三津田信三はその怪談の中でも、相当に技巧的で、かつ独自の理論体系を持った小説家です。
逆にある意味、ここまで自己理論化を徹底して、小説を書く小説家も稀だと思いますし、
①理論が効果的=怖い、②理論化されているから量産が利く、③理論化されているから作品にバラツキがない、
という、ホラー小説安打製造機の如き、すさまじい小説家です。
私の中では、もはや「安心と信頼の三津田信三ブランド」になっています。

じゃあ、その理論って何なのさ?
という方の為に、巻末で評論家の日下三蔵が、分かりやすく特徴をまとめてくれています。
下記、孫引きしますと、
①メタフィクション(自分の身近な近況から始まる)
②アナグラムの多用(落ちが判明する時に、よく使われますね)
③推理小説と怪奇小説の要素のブレンド
④作品間のリンク(幾つかのシリーズを持っていて、共通の人物が出るなど)
⑤擬音の多用(これは怖いです)
確かにその通りで、基本的にはこの方法論に従って、三津田信三のホラー小説は成り立っているようです。

これらの理論が、何故効果的なのかと考えますと、つまるところは作品世界に、いかにリアルな感覚を与えられるか、
という部分に大きく貢献しているからだと、私には思われます。
先の特徴をより補強する為に、特に優れていると思うのが、圧倒的な場所(空間)の造形能力だと私は思います。
現に所収の、「灰蛾男の恐怖」という短編の中で、
「怪奇幻想系の作品は、化物や魔物が出没してもおかしくない気配が漂っていれば、もう九割は成功したと言えます」
と、著者本人が述懐すらしています。
この言葉通り、「灰蛾男の恐怖」の冒頭の、場所の造形は本当にすごいです。こりゃ確かに何かでるわ、という感じです。
また、その空間を、場所の由来や歴史といった、舞台衣裳にまでレンジを拡げてみますと、
「よなかのでんわ」が顕著ですが、この小説には作中に、「赫村」だの、「墓村」だの、「人牛村」だの、
相当に気持ち悪い村が、次々と登場してきます。よくこんな次々と思い付くもんだなあ…。

場所にまつわる来歴などをいちいち想像することは、相当に骨だと思うのですが、
そこは三津田信三が、推理小説の書き手でもあることが、大きく影響しているように、私には思われます。
このような構築力の長け方は、推理小説を思考する側から来ているのではないか、と私は思います。
これこそ完全な私の想像ですが、おそらく三津田信三は、そのような構築に困るタイプではないと思いますし、
小説を書くに当たっての、先の展開の見通しも、非常によく見えている人なのかな、と想像したりします。

これらの理論体系は何も心霊譚に限らず、それ以外の怪物を扱っても成立することも、ある作品で示されています。
ネタバレになると悪いので、どの作品とは、ここでは控えますが、私などは、「なるほど!」と膝を打った次第です。
面白くて怖い以外にも、(特に私如き、自分も書く人間には)勉強になるとは、何て素晴らしい小説家なのでしょう。

三津田信三は他にも、「ついてくるもの」、「誰かの家」、「怪談のテープ起こし」などのホラー短編集を出版していますが、
どれも傑作です。何と外れがありません!…一体、何という小説家なのでしょう。
私は大好きな小説家ですので、気になった方がいましたら、是非お手に取って戴ければ、と思う次第です。




お問い合わせはこちら

先の同人誌の原稿募集につき、お問合せフォームを作りました。
ご質問等がございましたら、コメントにメッセージを残して戴ければと思います。
感想等も大歓迎致します(ただし、悪質な誹謗中傷は止めてね)。

宜しくお願い致します。

「DAMMED THING vol.01」

仕事やら、原稿入稿の締め切りやらドタバタで、当ブログもえらい長期放置プレイしてしまいましたが…。
果たして、どのくらい読者の方がいらっしゃるのか、分かりませんが…。
しかも、告知もギリギリのタイミングですが…。

ようやく、告知できる運びになりました。
つい先日、印刷所さんから、「無事入稿すみました」と、お知らせを戴きました。
(ほんとは、昨日まで入稿データに不備があるなど、最後まで印刷所さんには、ご迷惑をかけてしまいましたが…)

ホラー小説専門同人誌、「DAMMED THING vol.01」です。


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表1
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「DAMMED THING vol.01」ですが、当初から述べていた通り、
アメリカの怪奇専門パルプ誌、「ウィアード・テイルズ」もどきの同人誌です。
画像が見辛くて大変恐縮ですが、創刊号の特集は「怪物」。このテーマで2作短編が収録されています。
価格は500円になります。下記のイベントで販売致します。

第二十四回文学フリマ東京
【会場】 東京流通センター 第二展示場 2F エ‐29のブースで販売致します。
【開催日】 2017年5月7日(日) 11時~17時まで開催します。
アクセスはこちら↓
http://bunfree.net/?tokyo_bun24#l1 

当日は、2Fの見本誌コーナーに、見本誌も用意しますので、
ご参照の上、ご興味のある方は、是非、お手に取って戴ければと思います。
でもなあ…。ぱらぱら見本誌見ただけじゃ、仕上がり具合もよく分かんないし、やっぱ気が乗らないなあ…。
という方がいましたら、どうかご安心ください!
ブースに、下記フリーペーパーも用意いたしました。短編を1編(本誌とは別の作品)収録してあります。
こちら、持ってけドロボー状態ですので、お気軽にお手に取って戴ければと思います。


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それでは、みなさま当日は会場でお会いしましょう。

あ!あと大事なこと忘れてました。
当誌では、ホラー短編小説の寄稿を大募集しております。
ホラー短編であれば、基本的にノーテーマ、年2回程度発行を考えております(次回は秋ですなあ…)。
ご興味やご質問のある方がいらっしゃいましたら、当日お気軽にお声がけください。
宜しくお願い致します。
プロフィール

WORLD BEANS

Author:WORLD BEANS
ホラー小説専門同人誌、
「DAMMED THING」告知用ブログです。
活動状況はほぼ更新せず、大半は読んだホラー小説のことを、ぶつくさ書いてます。
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